僕にとって二冊目の書籍、講談社現代新書「マイケル・ジャクソン」が、発売されて一週間がたちました。おかげさまでなんとすでに4刷りが決定し、熱い反響も多数送られてきています。ありがとうございます。
この本の執筆を講談社の編集者、岡本浩睦さんから最初に依頼されたのは、09年の10月中旬のことでした。その時期は、最初の書籍「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」(以下「教科書」)が出たばかり。
はじめてマネージャーから「講談社現代新書から郷太君に新書出版のオファーが来たよ」と話を聞いた時、「え、本当ですか???」と、二度三度聞き返すくらい驚きました。
映画「THIS IS IT」が公開された直後、はじめての岡本さんとのミーティングがありました。まだ僕自身は講談社からのオファーの詳細を把握しておらず、「細かいことは会って話しましょう」とのことだったので、いくつかの取材を終えた後のわりとほわほわした状態で、約束の時間を迎えました。
岡本さんは開口一番「『教科書』は、本当に凄い本です!感激しました」と言ってくれました。そしてお礼を言う僕に向かって、音量は落とした状態をキープしながらも熱い口調でこう続けました。「『教科書』が面白いのは、題材が今話題のマイケルについてである、ということももちろんですが、それだけではありません。私はなにより郷太さんの文章力に驚嘆しました。なんでもいいです、郷太さんが今一番書きたい内容で新書を一冊ぜひ書いてくれませんか?」。
僕にとってはミーティングの前に「ぜひマイケルで」と言われるのかな?と、なんとなく思っていました。僕は読書が音楽を聴くことと同じくらい好きですし、子供の頃から現在に至るまで文庫本、新書も相当読んでいます。講談社現代新書の「伝統」「パワー」も知っています。僕のようなミュージシャンが、そこへの執筆を依頼されるだけでも、ある意味凄いことなのに、「文章力」を評価してもらい、題材にあたっても僕の「視点」を信じてくれる、というのです。
その時、じっくり考えて、色々アイディアを頭に巡らせたあと僕は答えました。「文章力を評価してもらったのは本当に嬉しいです。ぜひ書かせて下さい。そして、やはりせっかく書くのでしたら、マイケル・ジャクソンでいきたいです」と。
一冊本を出したばかりでしたし、売り上げも、中身もおおむね好評ななかでしたから、もう一冊同じ人物を題材にして書く、ということを決断するにはかなりの勇気がいりました。二冊目で安易な本を出版すれば「また西寺郷太はマイケル本か!内容だだカブりやないかい!」などと反感を買うことも想像つきましたし、ノーナ・リーヴスの新作や音楽活動も少し後回しになってしまいます。
でも僕は「新書」という形態に大きな可能性を感じていました。値段も安くひとつのフォーマットとして完成している「新書」なら、音楽ファンや、ラジオ・ファンなど積極的に情報を収集しようというタイプの人々だけでなく、ネットを使わない一般層、幅広い年齢層に『マイケルの二度の訴訟と裁判』のことなど、この時期に今までずっと訴え続けたことを広く伝えられる。今のうちにまとめてやってしまうしかない、それが自分の今後の音楽生活へも必要なプロセスなんだ、そう考えたのです。
「教科書」を書いている最後の段階で、書くのが苦しい部分がひとつありました。それはマイケルを二度襲った「少年虐待訴訟」のこと。
この「裁判」について細かく書くのは、メディア批判を伴います。なんといっても、日本の新聞、雑誌、テレビはずっとマイケルを「性犯罪者」として扱っていましたから、そこの「適当さ」「冤罪報道」をつくのは彼らにとって喜ばしいことではありません。
「足利事件」で、無実の人を犯罪者扱いしてきた裁判、報道機関の「危うさ」が話題になっていた時期でした。マイケルも結局根元は同じです。とはいえイヴェントで語る、ブログに書く、ラジオで話す、ということと実際に「本にする」、というのはまったく重さ、意味合いが違います。はっきりいって恐怖でした。
ただ、どうしてもやる必要もありました。僕が一番いやだったのは、「マイケルは天才だ。すごいアーティストだった。だから少年虐待してても別にいいじゃないか。天才なんだから、それはま、触れないでおこう」みたいな論調です。彼の死後、たくさん写真集や本が出てもその訴訟(特に93年訴訟)の問題にきちんと迫ったものはありませんでした。
僕は音楽のプロですが、裁判や訴訟のプロではありません。本来は門外漢の僕が調査することではないのですが、10数年間追いかけて来たジャーナリスト、評論家は本当に誰もいませんでした。なので、怖さもありながら、新書のメイン・テーマを「裁判」、それも「93年訴訟」に決め、改めて入念に調査をする日々が続きました。ひとつでもいい加減なことを書くと、相手との論争に負けてしまいますから・・・。
「マイケルは一般的にみて『ややこしい』ことはしていたが、断じて性犯罪者ではない。相手が金目当ての詐欺師。つまり『冤罪』である。調査結果もしっかりとでている・・・。」僕はずっと同じことをこの「ライフ」やイヴェントを通じて訴えてきました。たとえば・・・、
ま、上のふたつ以外にも僕が書いた文章は無数にあるので、時間がある人は色々「ライフ」左下の小窓で、検索してみてもらえると嬉しいです(その「時代の空気」もわかると思います)。
構想・執筆は二ヶ月半。12月中旬の「ヒッピー・クリスマス」終了後色々アイディアを練りはじめ、執筆に入ったのが宇多丸さんのマンションをピエール瀧さんと水道橋博士さんと襲撃した「キラ☆キラ」忘年会(笑)のあとから。
年末年始も休まず書き始め、本当は1月の終わりには書き終わるつもりが、一ヶ月かけて「はじめに」と「第四章」にあたる裁判の部分しか書けませんでした。
基本的にすべて資料は英文で読むので時間がかかるのと、たとえば訴えた少年の父親が自殺したのちに、三男のジャーメインが「ジョーディ少年が謝罪の電話をかけてきた。やはり、あれはゆすりだった。マイケルは無罪だ」と会見した、というビッグ・ニュース(結局、ジャーメインのホラではないかと判断)なども精査し、マイケルに有利な情報でも怪しいものは排除しました。
あと、あまりにもしつこいと一般の人にとっては「もういいよ」となってしまい、逆効果になってしまいます。その辺りのさじ加減も編集の岡本さんと相談しながら組み立てました。
この新書(以下「MJ新書」)ではじめて読む人、「教科書」を読んでさらに「MJ新書」も読んでくれる人、どちらも興味深いように工夫しました。同じ事実を扱いながらもエピソードのかぶりは最低限に抑えるよう努力しました。
二月に残りの第一章から第三章、第五章を書き、最後ギリギリで本が完成。
「MJ新書」に取りかかる前、夏に「教科書」を書いてみて、そして取材を受けてみて思ったのは、僕と同世代に近いテレビマン、雑誌編集者、そしてもちろんTBSラジオのスタッフ、文化放送、J-WAVE、FM東京、ナック・ファイヴ、AIR G、RKB他、多くのラジオ局などに(マイケル関連で出演させてもらったところだけ書きました)、僕の味方になってくれる人がたくさんいたことです。ノーナを10数年応援し続けてくれた全国のメディア関係者の人々には本当に助けられました。
他方、新聞はほんとに硬直していて、全然駄目です。権力を持っている人がもう年齢層が高過ぎて先入観からまったく抜け出せないのです。まったくもって「ジャーナリスティック」ではありません。
たくさんの若い新聞社の人間、記者ともコンタクトをとりましたが、彼らのほとんどが「上層部」によって書きたいことも書けずねじ曲げられているのです。彼らが奮闘してもいまだに単なる「ファンの妄想」扱いされてしまう現状は、可哀想に思うほどでした。この本がそういう現状を突破するひとつの武器になってもらえるのではないか、そう願っています。
だいたい発信源のひとつであるFBIが十数年の調査の結果「マイケルは性犯罪者である証拠はなかった」と発表しているのに、それでもまだ日本の新聞では「根拠もなく」過去の思い込みに固執しているのです。いまだに、きちんとマイケルの名誉回復はされていません。
今回の「MJ新書」で、マイケルの音楽への理解だけでなく、報道というものの無責任さ、あやうさ、時代の変化みたいなもののムードまで伝われば本当に嬉しいです。自分も他のジャンルのことでも、ひとつひとつ簡単に信じないように、きちんと見つめる努力をしないとな、と強く思っています。
西寺郷太 三軒茶屋サンキングにて (酔っぱらいながら)

