「ウィークエンド・シャッフル」ポッド・キャスト

2009.06.28



 ライムスター宇多丸さんの「ウィークエンド・シャッフル」へ、電話出演しました。ポッドキャストで聴けます。


 昨日、マイケルの訃報を聞いてすぐの午前中にTBSラジオの橋本ディレクターから、午後の「キラ☆キラ」がマイケル特番に変更されたので急遽出演して欲しいと連絡がありました。


 赤坂のTBSラジオに車で向かう途中、運転しながら東京FMで尊敬する吉岡正晴さんがこれまた緊急出演されているマイケル追悼番組にチューニングを合わせました。プロデューサーの松尾潔さんが連絡をくださったからです。


 吉岡さんと湯川れい子さんの興味深い会話のあと、〈ヒューマン・ネイチャー〉がかかりました。


 聴いていたら、神様みたいな声だな、この人なんでこんなに歌うまいんやろ・・・、と思い涙が止まらなくなりました。この人を尊敬して間違いじゃなかった。


 やはりこの人を信じて、音楽の道を進んできた自分の人生は正しかった、とそこまで思えたんです。それで泣いてしまいました。

  マイケルはぼくにとってかけがえのない、大きな存在でした。いつも周りから笑われるくらい、彼を尊敬して、研究していました。


 自分にしか出来ない大事な役目がある・・・。




 「We Are The Worldの呪い」以降、メールや連絡はいただいていたが直接的にははじめてお会いした水道橋博士さん、そしてメイン・パーソナリティの小島慶子さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。

 空気が悪くなる瞬間もあったが・笑、あれこそ生の魅力、ラジオだと思った。この放送、聴いた人からも沢山の反響があった。

 「デイドリ」では、マイケルの曲だけをかけた。沢山のファンのみんながぼくの心配をして来てくれた。嬉しかった。
 ファンクラブのメールも沢山きた。ありがとう。

 ぼく自身もみんなにとって、「こいつを好きでいて間違いじゃなかった」と思われるようなミュージシャンを目指したい、改めてそう強く思いました。





 来週は、存分に時間を頂いて「タマフル」にて、西寺郷太的「マイケル・ジャクソン特集の決定版」を放送します。

マイケル・・・

2009.06.27

 マイケルが亡くなったニュースを受けて、取材・特別番組などの出演依頼などが沢山来ています。昨日のTBSラジオ「キラ☆キラ」マイケル追悼特番だけでなく、昨日は産經新聞の、今日は「SPA」の取材を受けました。


 今夜、9時半から宇多丸さんの「ウィークエンド・シャッフル」に電話出演します。来週も出させてもらうのですが、とり急ぎお知らせまで。

 月曜日はTBSラジオ「カキーン」に、マイケル好きにさせてくれた敬愛する評論家の吉岡正晴さん、同世代の小宮山雄飛くんとともに出ます。

急遽

2009.06.26

TBSラジオ「キラ☆キラ」

のテーマが、「マイケル・ジャクソン特番」に急遽変更され
ぼくが1時から3時まで出演させてもらうことになりました。

聞いてください。

Music And Me

2009.06.26


マイケル・・・

2009.06.26

Michael+Jackson.png

 夜通し曲作りして朝まで作業してたら、色んな仲間から連絡が。心臓止まるかと思った。

 ちゃんとした情報をみてから、本気で考えます。


 ただ、今回のライヴは彼の音楽人生の評価を大きく左右するとてもプレッシャーの強い企画だった。正直チケットは売れていたとはいえ、肉体的、そして彼の現在の周りのスタッフや、組織的なことを考えると、2時間以上の公演を同一都市で50回もやるなんて無謀ではないかとずっと思っていた。

 嫌々テレビをつけたら相変わらず薄っぺらい愛情と知識でマイケルが短くまとめられている。その昔、モーツァルトを馬鹿にして追いこんで殺してしまったメディア(噂)と大衆が、マイケルもここまで追いつめたのか。「少年虐待」疑惑の裁判、あれほど何年も国家ぐるみで調べて無実・無罪になったのにまだ犯罪人扱いするのか・・・。

 今夜は三宿webでDJです。

 ぼくは11時からマイケルだけ回します。今まで何度も聴いてきた楽曲が、今日からは違うように聴こえるのだろう・・・

22日月曜日(渋谷と新宿)

2009.06.24



 昼、2時から渋谷の徳間ジャパンにて、今度出演するテレビ番組の打ち合わせ。

 なんと、浅草キッドの水道橋博士さんと評論家の宮崎哲弥さんが様々なゲストを呼んでトークをする番組「博士の異常な鼎談」に、ぼくが呼ばれることになったのだ。

 もともと宮崎さんには「BAD GIRL」の頃からノーナをラジオでプッシュしてもらっていた。今回の「GO」からも「1989」を選曲してもらい、番組でしばしばオンエアしてもらっている。

 はじめてお会いしたのは、去年のテレビ東京での「ありえへん∞世界」収録。その日共演させてもらった後わざわざ直接電話をもらい、「西寺君<マイケル・ジャクソン、小沢一郎ほぼ同一人物説>はすごいな、そうやって見るとあのふたりほんとに似とるわ・・・」と褒めてくださった・笑。そこからの繋がりです。

 もともと大好きで4月の開始以来、常にハードディスク録画してた番組なんで楽しみ!

おさらい
2007年10月6日、
TBSラジオ「宇多丸のウィークエンド・シャッフル」にて発表。

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 打ち合わせを終えて、D島、池ちゃん主催のトーク・イベント参加のため新宿へ。早く着きすぎたので、めっさ久々に漫画喫茶に行く。いやー、楽しいなと再認識。

 8時50分からイベント合流。タロット占い師プリンセス郷球として(勝手にD島につけられた)。
 個人的にはこういったトークの際、D島か雄飛くんのどちらかが、いてくれれば気が楽だ。おれは脳みそを1%も使わなくてもいい・笑。案の定面白かった。

 終了後、D島、途中参加のモビー、おれの髪を切ってくれてる美容師・ふじくんと共に呑む(彼も草野球チームメイト)。

最後のしめはモビーおすすめの
でラーメン。めっちゃ美味かった。
 

20日土曜日、21日日曜日(静岡)

2009.06.24

 名古屋から夕方、静岡について、会場の「Freaky Show」へ。「GO TOUR」でも一緒だった松野くんのレーベル「Doublehorn(ダブルホーン/おれが命名した!)」の若手バンドWednesdayと合流。

 夜は静岡名物「おでん」。「しぶち」というお店に連れて行ってもらう。




 そして迎えたイベント。この日も最高だった!!まず、Wednesdayのライヴがものすごく良くなってた。あきらかに3月よりバンドとして成長してて、眩しいヴァイブが出てた。

 そしてFREDOのDJは当たり前だがやはり最高だ。格好いいとはこのことだ。「最近いい音楽がないなー」とか言ってる連中は、受けとる自分の感性が鈍っていることのいい訳だということを彼のDJは教えてくれる。

 60年代であれ、70年代であれ、80年代であれ、90年代であれ、すべての時代の素晴らしい音楽はクラシックであり、愛され、研究され、繰り返しプレイされるべきである。それらはもちろん最高だが、全く同じ意味で現在進行形の音楽も最高であり、未来のクラシックなのだ。


 ぼくにとってDJはとても大切な時間だ。この活動がなかったら毎年これほど沢山の曲を作り続けられなかっただろうと思う。
 ダンスフロアには、あらゆるヒントが落ちまくっている!

++++++

 この夜もDJは2セット。名古屋は30分を2回しだったが、静岡は40分を2回しのあと、最後に20分くらいやったのでトータルで100分くらいDJをした。つうか、盛り上がったなー・・・!!

 前半はぼくが思う「クラシック」。新旧織り交ぜて。何度も書いているが、最近DJが楽しくてしょうがない。毎週色んなことを考えながら、あらゆる角度で思いっきり集中してDJしてる。

 後半は怒濤のノーナのセット。「GO」からの曲。「パー何処?」、「エモーショナル」などダンスフロアの定番曲はもちろん、久々に「ターンテーブルズ・オンリー」とか、「ポップ・シティ」とか、「NNRブレイクダウン」とか、もろもろかけつつ歌ったりもした。

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 静岡では数回DJで呼んでもらっただけで、いまだにノーナはライヴをしたことがないので、こういうチャンスをもらったことに感謝したい。沢山の人に喜んでもらい、声をかけてもらえて嬉しかった。

 翌日は、おそばを食べ、駿府城跡を見学に行き、徳川家康像を見る。前回のDJでお世話になった静岡の名物レコード屋店長兼オーガナイザー三輪さんのお店「コーナー・ショップ」を久々に訪れたあと、満足して帰京。一時間なんで品川まであっという間でした。

 みんなありがとう!

20日土曜日(名古屋)

2009.06.24



 バンドマンがプロになってキャンペーンやライヴをするようになると、いろんな街に行けるようになり、その地方それぞれにお気に入りの店ができてゆく。

 名古屋に沢山あるこの<山本屋本店>の「味噌煮込みうどん」は、デビュー当時にワーナーのスタッフに連れて行ってもらって知った。それ以来、おれにとって全国各地の中でも五本の指に入るほど好きな店、好きなメニューである。

 ちなみに東京スカパラダイス・オーケストラの大森はじめさんも2002年のノーナ・ツアー名古屋で、おれたちに連れられてはじめて<山本屋本店>に行き、そこからこの味にハマったそうで、よく通ってるとのこと。

 20日土曜日も、昼過ぎに起きて、いつものように<山本屋本店>で至福の時間を味わう。

 ちょっと値段が高いのと(名古屋コーチン入り「味噌煮込みうどん」は2000円くらい)、普通は家庭料理として家で作って食べるみたいで、地元の若者はこういった店にほとんど行かないみたいだけど、おれは大好きだ。美味かったー。

 そして、赤味噌の味と香りを全身に浴びた我々は名残惜しくも次の街、「静岡」へと旅立つのであった。



19日金曜日(下北沢&名古屋)

2009.06.24

 19日金曜日。下北沢CLUB QUEにて、「MAD NONA 3」。満員御礼ありがとう(^〜^//。全国各地の「GO TOUR」で磨いてきたシゲとの4人でのライヴ。(緊張感はもちろんありつつ)いい加減に振り切れる柔軟さも出てきて、もっともっと何度も何度もライヴやりたいと思う気持ちで一杯だ。自分でも変なMCをしてしまい、今も不定期に「思いだし苦笑」している。

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 2時間強のライヴを終えて、新幹線でDJイベントのある名古屋へと移動。

 松野みーくん(FREDO)との「FREDO & TEMPLE」名古屋・静岡DJツアー。今までにふたりで、島根、岡山とツアーに行ったが今回も最高だった・・・!!!

 名古屋ブッダはクラブに入れないほどの人が来てくれる超満員大盛況。人が多いだけでなく、ピーク時の熱狂はすごかった(^○^//!
 DJは1時前からと3時からの2セット。大まかに言うなら、一回目は最近の本気100%DJ。二回目はノーナ中心に熱唱タイム。

 ファンのみんなとも合間に沢山喋れたので良かった。名古屋にDJだけで訪れるのは(去年のダイヤモンド・ホールはライヴとのセットだったので)久しぶりだったけど、本当に嬉しかったな。



 終了後の朝方、イベント「LLM」スタッフのみんなとともに名古屋に多数あるという24時間営業の食堂兼飲み屋「こめっこ」へ。

 はじめて行ったし、はじめて知ったけど、24時間営業のわりにメニュー豊富過ぎ・笑。下手したら200種類くらいある・笑!思考能力落ちてる時間に迷惑なくらいメニューがあって、どれも美味しそうで何度も迷う・笑。
 うどん、カレー、定食も無数に、つまみも無数にある。おばちゃん3人で回してるけど、イベント終わりの客30人くらいで満席。普通だったらわやくちゃになりそうだが、意外とスムースに成り立っている。あの驚異的なサーヴィス精神はミラクルで、名古屋っぽさを感じました(^〜^//。

 ワンマン・ライヴ、新幹線移動、DJで朝までと、すごい働いた日だった!!!でも音楽に囲まれて、全然元気だった!!最近思うけど、おれは元気すぎる病気かもしれない・・・。

MAD NONA 3

2009.06.19


Photo by シゲ
札幌 GO TOUR の翌日朝、二条市場にてノーナ3人並んで寿司を食べる後ろ姿。



 寝て起きたらライヴだ。

 「MAD NONA 3」。

 ノーナ・リーヴスというバンドの「狂った」部分を抽出したようなライヴになるはずだ。ぼくは酒はかなり飲むが当然のごとく一般的に法に触れるようなことはしてないし、それすなわち逮捕されない。
 しかし、自分が逮捕されてもおかしくないくらい「音楽に狂っている」という自覚はある。アルバム「GO」は、とち狂った人間達の作ったアルバムだった。

 発売前に受けたこのインタビューとか、今読むと良くわかってもらえると思う。

 自分が好きな音楽を、自分が好きな仲間と奏でる。奏で続ける。

 そして、自分の好きな音楽について語り、伝え継ぐ。いろんな街にいく、届ける。レコード作りでも、作詞作曲でも、プロデューサーとしても、ラジオでも、トーク・イベントでも、DJでも、文章を書くことでも、同じことだ。それがいつも納得するレヴェルで出来るように、日々を過ごしてきた。

 明日から数日、下北沢・名古屋・静岡・新宿・・・、また狂った日々が続く。

 ギターを歪ませたり、どこかで見たような「過激」な格好をすることだけがロックではない。

 『Who's BAD?』とは、ぼくが一番好きな言葉だ。本当に闘っているのは誰か?世の中の既成概念や、慣習みたいなもの、空気を読むとかそういうのではない、本当に信じたものに近づいていく力、物の見えていない連中に嘲笑われても、理解されなくても、本質へと少しずつ階段を昇ってゆく。そうすれば同じような孤独を抜けて、別の角度から昇ってきた仲間が見つかる。昔から、そういうパワーを信じている。

 マッドにいくでー!!!ノーナ最高(^〜^//!

DJ やついいちろう デビュー!

2009.06.18



 昔からの仲間のエレキコミックやついいちろうくんが、6月24日にDJとしてMIX CDを出すことになり、ノーナの「透明ガール」も収録されることになりました!

 それもスタートしてすぐ、くるりから、「透明ガール」を作詞してもらった「いしわたり淳治」繋がりでチャットモンチーにバトンを渡すという、かなり盛り上がる位置に選曲してくれています。

 嬉しいです。

やついくんの日記も面白いです。ぼくはほとんどいわゆるロック・フェスなどで盛り上がる「日本のロック」というものを知らないので、このアルバムで勉強(?)したいです。

 

すでにお気づきでしょうが・・・

2009.06.18

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 2002年から7年間も物持ち良く使い続けていたこの「ライフ」が、我が師匠たなくらさんとデザイナーのササキくん、新しいDFAスタッフの尽力により、リニューアルされました。

 非常ーーーーにデータが重いので、色々考えた末に2008年大晦日までのすべてのライフはひとまずアップするのをやめました。

 ぼくの人生で、いわゆる日記的なものをこれほど続けたことはありません。今までのライフは貴重な財産なので、いつかきちんと形にしたいな(本とか、本とか・・・)と思ってます。
 いくつかの重要だなぁーと思われるものは随時左上の<Category LIFE>「LIFE」の下にある「WORDS SESSION」の方に移しておきます。

 これからは、(今さらですが)画像や写真などもアップしていけます。

 本当のことを言えば、いわゆる写真中心に一言添える「ブログ」という文化があまり好きではありません。
 これからも、あくまでもブログでも日記でも記録でもなく、文章中心の「ライフ」という呼び方がふさわしい気がしてます。

 とはいえ、小松や奥田などは地方の美味かった料理や、居酒屋などのリポートに写真や動画は最適ですから今までよりグンと多方向に発展させやすいと思ってます。


 良いことはまだあります。左側オレンジの検索の欄に、例えば「マイケル」と入れれば、マイケルについてぼくが書いた文章がダダダと出てきたり、お薦めするCDのジャケットがバンと出たり、ホームランの動画がアップできたり、当たり前なんですが便利な機能満載で非常に嬉しいです。

 あとはディスコグラフィです。ノーナのアルバムや作品達だけでなく、ぼく、奥田、小松のそれぞれの外仕事も全部サクっとわかるページをスタッフ総出で打ち込み作業し、構築中です。個人個人にしかわからない部分もあるのでぼくも協力してます。

 でも、これがめちゃめちゃ大変です・笑!!!もう少し待っててください。

 明後日金曜日の下北沢ライヴ「マッドノーナ」、そして名古屋DJ、土曜日の静岡DJ。まず突っ走ります!!!

 詳細はこのホームページのNEWSでわかります!!
 

TBSラジオ キラ☆キラ 今日はフル出場です!

2009.06.17

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TBSラジオ「キラ☆キラ」

 毎週水曜日、3時から生放送がんばってます!

 仕事や学校などで聴けない人にはポッドキャストがありますよー(音楽は聴けないけど・・・)。

 天下のTBSラジオでおやつ時に話すには、かなりエッジーな内容ばかりですが、おかげさまで各方面から好評のようで、色々な人から反響あり嬉しい限りです(特にレコード屋さんで見知らぬ店員さんにレジなどで「ポッドキャスト聴いてます!」などとよく声をかけられる・笑)。

 あの水道橋博士さんや、キリンジ掘込高樹さんなどからも熱いお褒めの言葉を頂き身の引き締まる思いです!!

 聴いてみてください!4月の2回目以降はすべてポッドキャストで聴けます!


たとえば





などなど。


 いつもはコラムのはじまる3時過ぎからの出番なんですが、今日、水曜日はスペシャル・ウィークということで、なんとはじめて番組スタート時から最後まで出演します!

 今日は、「花のゴッパチ」プリンス編です。

15分のために一週間で最低40時間は使って研究してます(作曲や音楽作りの再発見にもなるので、プロデューサー&ソングライターとしての実益も兼ねてます)!

 みんな〜聴いてな〜!!!!!!

NHK-BS2 熱中夜話 マイケル編!

2009.06.17

● 14日の日曜日、前日深夜から続いた「80's NIGHT」の興奮さめやらぬまま、朝7時半まで三宿デニーズにてマニアックな諸先輩方と生ビールを飲んでいたわたくし。

 早稲田大学にソウル・ミュージック、ヒップ・ホップ愛好家の集まる「ギャラクシー」という名門サークルがありまして、現ライムスターのメンバー、宇多丸さん、Mummy-Dさん、DJ JINさんがそれぞれの代で部長をつとめられたという輝かしいサークルなわけですが、なんかその空気をちょっと吸えたような、そんな朝でした。

● ちなみにノーナ3人はトラベリング・ライトという、割とドス黒いブルース、ロック、ソウル、ファンク系のサークルでした。当時流行しはじめていた「渋谷系」の香りはまったくゼロの男臭いサークルで、有名どころではオーティス・レディング、ジミ・ヘンドリックス、ジェームス・ブラウン、ダニー・ハサウェイ、カーティス・メイフィールドなんかが人気ありました。

 そんな中で、ぼくのマイケル・ジャクソンやワム!好きはかなり浮いてました(もちろん、マーヴィン・ゲイやジェームス・ブラウン、ダニー・ハサウェイなどはぼくも心酔してたんで基本的に趣味はあったんですが)。

 ちなみに、ぼくと小松が入学する直前まで、矢野監督がそのサークルの代表(幹事長と呼ばれていた)でした。ぼくも3年生になったとき、代表になりました。

 なんか、この夜と朝は「自分よりも音楽詳しい人ばかりが周りに沢山いる」というわりと最近珍しい状況だったので、学生時代を思い出して楽しかったなぁ・・・。


● さて、家に帰り、ぼくは1時間眠り、速攻で起きて渋谷のNHKに向かいました。

 日曜日のお昼から、「NHK-BS2 熱中夜話 マイケル・ジャクソン編」の収録があったからです。

 なんと、40分を前後編2週にわけてトータル80分。マイケル・ジャクソンについて研究し、語り尽くすという番組に光栄にも「マイケル専門家」としてぼくが指名され、呼ばれたのです!!!!!
 いや国営放送に「マイケル専門家」(!)と認められると嬉しい。

 司会はびびる大木さんと、田丸麻紀さん。ともかく濃い、前代未聞の「マイケル特集」になってます。
 ぼくも準備・企画の段階からかなり意見を言わせてもらい、音楽的にもマイケルを分解・分析するため尽力しました。放送は来月です。今までの軽い「マイケル番組」ではなく、重すぎる、深すぎるくらいディープな番組です・笑!

 ぜひ、見てください!!

 しっかり作る番組で、昼集合して帰ってきたのは夜8時半。期待してます!!




 
 

「どこまでが80年代なのか!?」論争

2009.06.16

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● めさめさ楽しかった「80's NIGHT」(なんと「キラ☆キラ」の小島慶子アナウンサーもご来訪)

 イベント終了後に、宇多丸さんとナガサワさん(店長)、ぼくの間で起こった「どこまでが80年代なのか!?」という論争も面白かった・笑。

● 発端はイベントの一番最後「もう帰りますよー」という頃に、最後のDJナガサワさんが「ウィ・アー・ザ・ワールド」をかけ、もう終わりだろうと思ったときにジョニー・ギルの「マイ・マイ・マイ」をかけ、それでも終わらずにライオネル・リッチーの「セイ・ユー・セイ・ミー」で大団円だったわけですが、ジョニー・ギルの「マイ・マイ・マイ」は「エイティーズじゃなくて、ナインティーズだろ!」と宇多丸さんが怒りだしたことにあります(ちなみに「マイ・マイ・マイ」は1990年初夏のヒット曲)。

 ぼく自身、ジョニー・ギルの所属するグループ「ニュー・エディション」の大ファンですし、その夜「マイ・マイ・マイ」はかけなかったものの、ジョニーが加入する前にメンバーだったボビー・ブラウンの「ドント・ビー・クルエル」や、ベル・ビヴ・デヴォーの「ポイズン」はかけました。
 なので、「マイ・マイ・マイ」をかけたナガサワさんへの宇多丸さんの非難(!?)は、自分にも密接に関係してくる問題でした。

 「テディ・ライリー登場以降の<ニュー・ジャック・スイング>は明らかに90年代の音楽であって、仮にそれが1988年の作品であろうと、1989年の作品であろうと<80年代くくり>の夜にはそぐわないだろ」というのが宇多丸さんの主張でした。

● ぼくがかけたボビー・ブラウンの「ドント・ビー・クルエル」は88年を代表するヒット曲です。普通に考えたら88年なんでエイティーズですよね?

 でも、確かにそう言われると、音楽ファンとしては、あれはナインティーズのはじまりであるという意見の方が正しい気もしてきました。ただし、宇多丸さんは「テディ・ライリー登場以降」としきりに主張していたんですが、ぼくがチョイスした「ドント・ビー・クルエル」は非常にあいまいなのです。

 アルバム『ドント・ビー・クルエル』は、ほとんど敏腕プロデューサー「LA&ベビーフェイス」の手による制作。その中に「マイ・プレロガティヴ(ブリトニー・スピアーズのカヴァーも有名)」というヒット曲も収録され、それには当時超若手プロデューサーとしてのし上がってきたテディ・ライリーも参加しています。

 ぼくもだんだん楽しくなってきて、「じゃ、ジャム&ルイスがプロデュースした、ニュー・エディションの『ハートブレイク』(88年)はどうなんですか?」と聞いたらば、「あんなもんナインティーズに決まってるだろ!なんでそんなこともわかんねーんだよ、いやんなるよ!」とのこと。

● 「LA&ベビーフェイス・プロデュースのボビー・ブラウンの88年の楽曲達はどうなんですか?ここややこしいすよね?」とも聞いてみた。

 すると、「LA&ベビーフェイスの曲はエイティーズでいいよ!というか、あいつらはいつの時代も存在してるんだから状況で判断しろよ・笑!!!」とのことだったので、アルバム『ドント・ビー・クルエル』には「80's NIGHT」でかけていい曲と、かけちゃいけない曲が存在することになりました・笑。

 この辺でぼくにも基準がよくわかってきて、宇多丸さんに賛同しはじめていました。

 次からは絶対ベル・ビヴ・デヴォー「ポイズン」なんぞかけません(1990年の2月から、3月のヒット曲なんで、この日までは許容範囲かと思ってた)。

 その後に、宇多丸さんが「ニュー・エディション好きなら、わざわざややこしいとこ狙わなくても「クール・イット・ナウ」とか、「ミスター・テレフォンマン」とかいろいろあるだろうよ!」などと言われ、妙に納得し、笑ってしまいました。

 ほとんどの人には、どうでもいい話ですいません・・・。でも、その辺のややこしさも含めて「80's NIGHT」って感じで楽しかったなぁー・・・。

● さて、イベント終了後、三宿のデニーズにてライムスターの宇多丸さん、Mummy-Dさん、MELLOW YELLOW のKOHEI JAPAN さんをはじめ、この日集まったものすごい豪華なメンバーとご一緒でき、音楽談義など出来て嬉しかったです。

モビーが You Tube にアップしてくれた!!!おれの第一号ホームラン!!!

2009.06.10

モビーがアップしてくれた!!!おれのホームラン!!!
みんな!!キャプテン郷球の勇姿を見てくれーーいっ(^〜^!

ミスター・ホームラン!!

2009.06.10

● 昨日は火曜日。午前中は神宮外苑にて、いつもの草野球「茜リーグ」。春秋ふたつに季節を分けて現在8チームで争っている。

 今シーズン序盤、調子が悪かった我が矢野テクノポリス。しかし終盤の追い上げが著しく現在2位。そんな中、昨日は「負ければ、春季の優勝がほぼなくなる」という大切な試合だった。

● 最近キュビズモ・グラフィコのチャーベ君にいろいろ教わって、ピストバイク(簡単に言えばちょいとお洒落な自転車・ケイリンの自転車のように後ろに漕げば後ろに進む)を買った。「GO TOUR」が終わってから熱烈にハマり、様々なパーツを自分好みにしては喜んでいる。
 いつもはチームの用具などの荷物もあるので、グランドには車で行くのだが、昨日ははじめて自転車で行ってみた。

 東京はアップダウンが多いので、朝からすごいウォーミング・アップになる。渋谷ハチ公前や、表参道をグイグイと抜けて神宮外苑へ。

 所要時間約35分。心地よい疲労と刺激・・・。自分的には、球場についたその時点で、今までにない体の軽さを感じていた。

● 試合相手は名門「たけし軍団」。監督はもちろん野球狂のダンカンさんだ。昨日のおれはベンチ・スタート。ピストバイク効果か、体の調子が良かったので打てる気がまんまんだったが、ま、しょうがない。チャンスが来るまで闘志を高め、ベンチで「やいのやいの」とノリノリで声を出していた。

 ゲームは緊張感のある攻防を繰り返し、6回裏矢野テク攻撃の最終場面。ここで来ました矢野監督から待ちに待った「代打!西寺兄!」のコール・・・。
 その時点で勝ち越してたとはいえ、このリーグの戦いはハイ・レヴェルで熾烈である。気の抜けないところで、遂に打順が巡ってきたのだ。

 うちのチームのスコアラーであり、頭脳とも呼べるタイガー大古場が、「郷太さん、早い段階でアウトサイドにゆっくり目のスライダーが来ますので、それをセカンド方向に強く打ってください」と耳打ちする。「よっしゃ!わかった!(出来るか出来ないかは別として)」と、返事も高らかに運命の打席へ。

● 審判がコール!おれ構えた。ピッチャー投げました!!!初球!!!!来た〜っ!まさに!!!アウトサイドぎりぎりに投げ込まれたボール!!おれ打った!!!芯で捉えたので速度も勢いもある!!!!でもアウトか〜っ!??おれ走る!!!!なぬ!セカンドを守るダンカンさんのグラブに入るかと思われたその打球がイレギュラーして、センター方向へ!!!!おれ走る!!一塁セーフ!!!やった!!!あれ、一塁コーチとベンチが「回れ!!!回れ!!」と叫んでる!!!???
 おれ走る!!おやおや、センターがボールを見失ってるようだ!!おれ走る!!!二塁も回れとの声が聞こえる!!ホンマに???おれ走る!!
 三塁コーチも「ゴーっ!」???え??マジで!!!
 本塁にまで、おれ走る!!!!!!!!必死で走る!!!まさか・・・!!!!!まさかのランニング・ホームランーーーーっ!!!!!

 人生初のホームラン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!チームメイトも監督も大盛り上がりで喜んでベンチで迎えてくれた。マンモスうれぴいーーーーーーーーーーーっ!!!

● やりました!!試合も矢野テク勝利。

 今日からは「ホームランを打ったことのある人間・西寺郷太(ミスター・ホームラン)」としての、新しい人生がはじまります。

 よろしくお願いします(^〜^///。

各種ミーティング

2009.06.05

 毎日、各種ミーティングしてます。

 デパペペのアルバムが届いて自分のプロデュースした「Special Lady - the wedding anthem -」聴きました。彼らから全然話として聞いてなかったのですが、マスタリングが一度やって欲しかった世界屈指のマスタリング・エンジニア、テッド・ジャンセン(スターリング・サウンド)で得した気分でした。
 ドラムやベースの低音や、トミタさんのアナログ・シンセ、ふたりのアコギもより豊かにかつ現代的、音楽的に聴こえるようになってて感激です。

 これから数週間で、事務所業務を完全に移転したり、ホームページを構造的にリニューアルします。ライフも新しいムード、ルールに変わります。

 奥田はスネオヘアーで全国ツアー中ですね。がんばれ!

 今月から、「Newness」のレコーディングはじめます。

1Q84

2009.06.05

村上春樹さんの新作「1Q84」、昨日現在発売されているBOOK1とBOOK2を読み終わりました。

村上春樹さんの小説をはじめて読んでいる時いつも思うのは、「あー、おれ今全身村上春樹の小説の中にいる!」という感覚で、それは今回の「1Q84」にもビシビシあって楽しめました。


まだまだ続くという噂もあり、確かにその方が納得いきます。BOOK3とBOOK4が待ち遠しいです。

新曲作りと読書の日々

2009.06.03

今日は「キラ☆キラ」です。

今日の話題はつい先日、ぼくが最も影響を受けた音楽ライターの吉岡正晴さんが翻訳された「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」が発売されたことを記念して、「マーヴィン・ゲイ特集」です。

マーヴィン・ゲイは、ぼくが最も愛しているシンガー、ミュージシャンのひとりです。多大な影響も受けました。ノーナの名前も、マーヴィンの娘さんノーナ・ゲイから名付けました。

本当に彼の音楽はいつ聴いても素晴らしすぎて、(例え話ではなく本気で)泣いてしまいそうになります。

吉岡さんの文章はいつもあたたかく、正確で、ぼくが小学生時代にマイケル・ジャクソン、そしてモータウンにハマるきっかけを作ってくれました。音楽本の執筆/翻訳というのは本当に知識と愛情がなければできません。原作者のデヴィッド・リッツ、そして吉岡さんというゴールデン・コンビによって制作されたマーヴィン本、ぜひ読んでみてください!

放送もがんばります。

新しいマック「ゴタマック」が届いたので、今新曲を作っています。
草野球もチームの調子いいです(ぼくは三球三振でしたが)。

村上春樹さんの新作「1Q84」が凄まじいです。
爆発的に売れてるみたいで数日間買えなかったのをようやく昨日ゲットしました。

タイトルもそうなんですが(「1989」という曲を書いたばかりだし)本当に「おれに向かって書いたんではないか(!)」と思うくらい自分にビシッとしすぎるテーマで(とはいえまだ全部読めてないんですが)、しびれつつ読んでます。

最初の第一章の部分読むだけでも、ノーナ・ファンのみんなならちょっとびっくりするんでみんなもぜひ!!

「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説」

2009.06.01


「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説」


西寺郷太による

「マイケル・ジャクソンと小沢一郎についての一考察

~ポップ・ミュージックと戦後日本政治の"申し子"の共通点~」


TBS RADIO 

ライムスター宇多丸の『ウィークエンド・シャッフル』にて


2007年10月6日発表。




Podcast

「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説(前編)」

「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説(中編)」

「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説(後編)」


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<1955年>


MICHAEL JACKSON ● 1955年、ロックン・ロール誕生


1955年7月、ヒット・チャート紙「ビルボード」誕生


最初のナンバーワン・ヒットはビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「(We're Gonna) Rock Around the Clock」。

白人音楽と黒人音楽がぶつかりあって生まれた新しい音楽「ロックン・ロール」は世界中に伝播してゆく。

1956年、後にマイケル・ジャクソンの「義理の父親」となるエルヴィス・プレスリーが大ヒット・シングル「Heartbreak Hotel」リリース。



ICHIRO OZAWA ● 1955年、自由民主党誕生


自由党と日本民主党の保守合同により、1955年11月「自由民主党」結党。当初はアメリカ政府の反共政策によって支援される。


保守合同まで・・・

吉田茂率いる自由党と、GHQの公職追放から戻ってきた鳩山一郎、岸信介を中心とする日本民主党は主導権を争い分裂していた。

しかし、共産主義の猛威により、「米国を中心とする西側諸国」と、「ソ連を中心とする東側諸国」による「冷戦構造」が確立されると、

複雑な対立要素を越えた保守合同の必要性が高まる。当時の有力者、三木武吉らの尽力で1955年合同に成功。


その後、小沢一郎による1993年の政界再編まで、日本の国会も「55年体制」と呼ばれる「自由民主党」対「社会党」という対立軸が揺らぐことはなかった。


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<"申し子"の誕生>


MICHAEL JACKSON ● マイケル・ジャクソン                         


父親はジョー・ジャクソン、アマチュア・バンド、ファルコンズのギタリスト。

インディアナ州ゲイリー出身。


1969年10月、ジャクソン・ファイヴのリード・ヴォーカリストとして、11歳でデビュー・シングル「I Want You Back」発売。

12月、ファースト・アルバム「Diana Ross Presents Jackson 5」リリース。


ちなみに同じ1958年に彼のライヴァル、プリンスも生まれている。


ICHIRO OZAWA ● 小沢一郎


父親は小沢佐重吉、弁護士、後に衆議院議員。吉田茂の懐刀であった。

岩手県水沢市出身。


1969年12月、父親佐重吉の急死を受け、衆議院選にて27歳の若さにて初当選。


ちなみに同じ1942年に後のライヴァル、小泉純一郎も生まれている。

小沢が初当選した選挙に同じく父親が急死した小泉も立候補したが準備不足のため、4000票差で落選(3年後に当選)。

現総理大臣福田康夫の父親である、福田赳夫元総理大臣の書生となる。

同じ慶応大学出身であり、歴史小説好き、選挙の天才であることなど、小沢と小泉には共通項も多い。


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<オヤジの存在>


MICHAEL JACKSON ● マイケル・ジャクソンにはモータウン・レコード社長「ベリー・ゴーディ・ジュニア」


ICHIRO OZAWA ● 小沢一郎には自由民主党総裁、内閣総理大臣「田中角栄」


ともに事業家でありビジネスマン、黒人、小学校卒業という学歴から成り上がった社会変革のカリスマ。

白人エスタブリッシュメント、東大エスタブリシュメントからの嫉妬、抑圧、抵抗、陰謀への対抗心。

すべての事象を「芸能」ととらえる。「民衆の支持が最大の力」という共通した思想。


ゴーディと角栄は、ポップ・ミュージック、日本政治、と分野は違うものの互いに史上稀に見る天才的なリーダーだった。

優れた作曲家でもあったベリー・ゴーディの書いたヒット曲「Money」。彼は、その他にも多数のヒット曲を制作。

田中角栄のずば抜けた政策立案能力。官僚を使いこなすパワー。


ワンマンな仕事ぶり。支配的、家族的なグループ形成。

ジャクソン・ファイヴの他、ダイアナ・ロス&シュープリームス、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、

スティーヴィー・ワンダー、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイなどビッグ・スターを擁するモータウン帝国。

小沢の他、金丸信、竹下登、二階堂進、奥田敬和、渡部恒三、梶山静六、橋本龍太郎、小渕恵三、羽田孜などを擁する田中軍団。

全盛期は鉄の結束を誇る。


マイケルも小沢も、特別にゴーディ、角栄から可愛がられ、強烈な影響を受けた。


ミュージック・ビジネスにおけるヒット・チャート、政治家にとっての選挙の大切さ。

利益、勝利に対する執念。一部の評論家に左右されず、大衆による得票、チャートをバカにしない姿勢。

黒人音楽をアメリカ中に広げる。黒人による経営。

日本の取り残された地方と、都市のバランスを矯正。


自動車産業のメッカ、デトロイト、そして日本海貿易の拠点、新潟。ともに冬が厳しく、海、湖を利用した海外(異文化)との交流も深い。

ビートルズのリヴァプールも同じ立地条件だが、このような土地は激しいリズムの音楽が好まれる。強いリーダーを生む土壌。


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<モータウン凋落とロッキード事件>


盤石な体制を築いたモータウン・レコードと、自民党田中派。

しかし、時が経つごとにあまりのワンマンゆえに、力をつけてきた仲間、弟子、部下達はそれぞれの事情で離れてゆく。


オヤジからの卒業。


MICHAEL JACKSON ● ベリー・ゴーディ・ジュニアの場合


経済的な分配をあまりにも怠ったこと、自分たちに作曲作詞プロデュースをさせなかったことでアーティストが大量離反。

マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーは半ばケンカ腰、ゴーディへの腹いせに「What's Goin' On」や「Talking Book」などのアルバムを発表。

これらはゴーディの低評価、大反対を受けながらも大ヒットし、音楽史に残る名作と愛されることとなる。

ゴーディの審美眼がずれてきたことが露呈し、彼はミュージシャン・サイドからの信頼を大きく失う。


マイケルと兄弟も音楽面、経済面でゴーディと対立し1975年モータウンと決別。

ゴーディからジャクソン・ファイヴという名称を取り上げられてしまったため、ジャクソンズと改名しCBSへとレコード会社を移籍。

その後、何度目かのトライアルののちジャクソンズはアルバム「Destiny」で自らがプロデュースした作品をヒットさせることに成功。


ICHIRO OZAWA ● 田中角栄の場合


1974年12月内閣総辞職

1976年ロッキード事件発生

このころより鉄の結束を誇った田中派は田中支配から徐々にニュー・リーダー竹下登、金丸信を中心とした後の「経世会」へと進化。


1985年2月に病に倒れるまで、角栄は自らの総理大臣への復帰を夢見て政界を支配していた。


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<新しいオヤジとの80年代>


MICHAEL JACKSON ● マイケルとクインシー


マイケルに大きな影響を及ぼしたプロデューサー、巨匠クインシー・ジョーンズとのコンビネイション。

ふたりの名コンビでマイケルのソロ・アルバム「Off The Wall」、「Thriller」、「BAD」を制作。

音楽的、セールス的にも頂点を極める。


1982年11月。恩師であり宿敵のゴーディの夢を「ある意味で」叶えることとなったマイケルのソロ・アルバム「Thriller」の発売。

世界で最も売れたアルバム(1億400万枚)となり、「人種の壁を越えて」モータウンの遺伝子を世界中に広げることになる。


マイケルとクインシーのクライマックスは、1985年1月28日。

彼らとライオネル・リッチーらの号令の元でアメリカのビッグ・アーティストを集結させ、チャリティ・ソング「We Are The World」を録音。

作詞作曲をこなし、サビも歌ったマイケル(ヴィデオも別取り)が20代の若さでアメリカ音楽芸能の天下をとったことを証明した。


1989年、エリザベス・テイラーがはじめて公の場でマイケルを評して「True King Of Pop, Rock & Soul」と呼ぶ。

この俗称は後に「KING OF POP」と変化し、マイケル自身が好んで使うことになる。転落への序章。

ネヴァーランドの建設、ビートルズの版権獲得、繰り返された整形手術などで、浮世離れしていくマイケル。

世間の目は少しずつ冷たいものとなっていった。


ICHIRO OZAWA ● 金竹小体制


1982年11月。「Thriller」が発売されたのと同時に、<日本列島改造>をスローガンにした角栄の悲願「上越新幹線」が開通。


角栄が表舞台から消えた後、最大派閥を取り仕切る主流派、金丸信、竹下登、そして親戚関係にもなっていた小沢、この3人の関係・権力は深まった。

各政党(特に社会党)への根回し、国会対策を得意とする80年代自民党の最強コンビネイションは俗に「金竹小」体制と呼ばれた。


1989年、第一次海部俊樹内閣で小沢は史上最年少の自民党幹事長に就任。

40代の若さで事実上の天下をとる。


1991年10月、海部総理大臣が任期満了、本人は続投を臨んだが、竹下派の不支持により退任。

その時、経世会会長の金丸は小沢の総理総裁への擁立を決意。しかし、小沢は若さや準備不足を理由に断固として断る。

この後、他派閥の総裁候補、宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の3人を最大派閥の会長代行である小沢一郎が「呼びつけ」、

面接するという事件が報道される。

この件で生意気だ、傲慢だという決定的なイメージが強烈につきまとうことになった。


テレビ出演嫌い、メディアへの不協力。剛腕・小沢に対する嫉妬・アレルギーはどんどん高まってゆく。


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<独立、激動の季節、そして現在>


MICHAEL JACKSON ● テディ・ライリーとの「DANGEROUS」とその後。


当時最先端のダンス・ミュージックだったニュー・ジャック・スウィングの大胆な導入。

マイケルはクインシーと決別し、はじめて「自分より若い世代」と音楽を作る道を選ぶ。

半数の曲でテディ・ライリーとタッグを組み、残りは自らがプロデュースした「DANGEROUS」は音楽的、セールス的にも大ヒット。

しかし、この頃から大きくなり過ぎた「マイケル・ジャクソン」をコントロールできる人物がまったくいなくなる。

敏腕マネージャー、フランク・ディレオの離脱。インタビュー嫌い、コメント、説明を嫌う性格がどんどん悪い報道を助長させる結果となる。


動物好き、猿のバブルスの成長と凶暴化。

幼児虐待疑惑の裁判などで、マイケルの地位と名声はアメリカ社会の中で反発を呼び、よってたかって引きずりおろされる。

ホワイト・アメリカ文化の象徴であるエルヴィス・プレスリーの娘リサ・マリーとの結婚も、ある種の差別意識に火をつけた。

彼自身のコミュニケーション力の欠如による、説明不足。人離れ。


現在、ブラック・アイド・ピーズのWill.I.Am、Ne-Yoら若いマイケルをリスペクトする世代の協力でアルバムを製作中と言われている。


ICHIRO OZAWA ● 細川護煕政権の樹立とその後。


1992年、東京佐川急便事件を受けて金丸が派閥会長を辞任、議員辞職。後継会長擁立時の争いで小沢は非主流派に転落。

1993年、竹下登との自民党内権力抗争に破れ、野党が提出した宮沢内閣不信任案に賛成票を投じ、自民党を離党。新生党を結成。


総選挙での自民党大敗の結果を受け、8党派連立の細川護煕政権の樹立に成功する。しかしそれぞれの思惑が交錯し、連立政権は1年で崩壊。

連立を離脱した社会党と、自民党が組むことにとり、村山富市首相が誕生。

小沢はその後、新進党、自由党、民主党と組織を変え、辛酸をなめ続けながらも、日本政治の主人公として活躍。


動物好き、柴犬のチビの成長と老衰。

側近政治の批判などで、小沢はマスコミや議員、一度は協力した仲間達に、よってたかって引きずりおろされる。

彼自身のコミュニケーション力の欠如による、説明不足。人離れ。


10年以上に渡り苦しんだ小沢だったが、「選挙」を最大の武器とする田中角栄直系の遺伝子をフル活用。

遂に2007年夏の参議院選挙の勝利にて、彼の「唯一」といっていい政治信念「日本に健全な二大政党を作る」を実現させようとしている。



「民主党=ジャクソンズ説」/「ほぼ同時ショッキング会見」


マイケル&小沢 ほぼ同一人物説/発表以後>


この後、2007年11月。

小沢・福田極秘会談で生まれた大連立構想の頓挫による民主党代表辞任未遂騒動あり。


2)「民主党=ジャクソンズ説」

Podcast

マイケル・ジャクソンのジャクソンズ脱退騒動/後に完全脱退、に酷似。

菅直人=ジャーメイン・ジャクソン説。



そして、2009年3月3日、小沢氏の公設秘書衝撃の逮捕。

3月4日、記者会見。

ほぼ同時に

3月5日、マイケル・ジャクソン「最後のライヴ」会見。


3)「小沢・マイケルほぼ同時ショッキング会見」

Podcast

小沢代表・秘書逮捕、記者会見。

マイケル「最後のライヴ」2009年7月に予定と記者会見

ノーナリーヴス:西寺郷太のブログ「LIFE」

June 2009
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